お悔やみ申し上げます
担当:河原 正明
暑さも戻り夏本番。Jリーグも残り15試合となりました。今日はトップチームは非公開での練習を行いました。
その練習前にネルシーニョ監督が日本経済新聞の取材を受けました。
チーム作りをする上での鉄則や、勝つチームをつくるために必要なこと、メンバー選考の基準など現在のレイソルを指揮する上でのネルシーニョ哲学を、約1時間たっぷりと話してくれました。「監督の仕事の醍醐味は?」と聞かれて「チームが良い試合をしていて、勝った時」と即答した指揮官。「今はマリノス戦のことしか頭にない」と集中力を研ぎ澄まして首位に挑みます。なお、この記事は今月下旬の日経夕刊のコラム「駆ける魂」で3回連載となります。また掲載日が決まりましたらお知らせいたします。
その、ネルシーニョ監督の取材を終えると、取材をされた記者の方から告げられた訃報。突然の一報でした。現・松本山雅FC所属で横浜F・マリノスなどでご活躍された松田直樹さんが、本日ご逝去されました。 日本サッカー界に多大な貢献を果たされた松田選手の活躍に敬意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。
同世代の選手も多く、みな一様にショックを受けています。藏川 洋平選手がJリーガーとしてのスタートを切ったのは横浜F・マリノス。学年は1つ違いでしたが、同じ77年生まれということもあり「あの人には本当にとても世話になった。群馬出身なので、(ホリコシFC在席時の)群馬でもね」と言葉少なげに語りました。
スタッフでは松田選手と横浜マリノス、横浜F・マリノスで1995年から99年まで共にプレーした井原ヘッドコーチがメディア向けにお悔やみの言葉を送られましたのでご紹介させていただきます。
「マツの精神力、強さでもう一度戻ってきてくれると信じていましたが、非常に残念で、言葉がありません。マツとは、彼がルーキーの時からマリノスで一緒にプレーさせていただきました。共にレギュラーとして、Jリーグチャンピオンになれたことが、一番の思い出です。能力が高く、本当にすばらしいセンターバックでした。34歳という若さで、まさかこんなに早く旅立ってしまうなんて、信じられないという思いでいっぱいです。マツは本当にサッカーが大好きな奴だったので、今頃は天国でボールを蹴っているかもしれません。謹んでご冥福をお祈りいたします」
レイソルの行く手に何度も立ちふさがってきたマリノス。松田さんは常にその中心にいた一人でした。最後の対戦は、2009年8月22日に国立競技場で行われた一戦となってしまいました。
6日の横浜戦では、試合前に哀悼の意をこめてのセレモニーを行います。キックオフ前に黙祷を捧げますので、両チームサポーターの皆様もお祈りください。