いつまでも仲間
担当:河原 正明
今日は1年ぶりの国立でのホームゲーム。クラブスポンサー「HITACHI DAY」でした。試合前から降り続いた雨は、終了間際まで止むことはありませんでした。しかしながら最後まで多くの方にご声援いただきましたこと御礼申し上げます。
雨中の激闘、勝利は残念ながら相手の手中に渡ってしまいました。前半から3トップで圧力をかけてきた名古屋に対して、試合早々に好調な永井選手の突破からケネディ選手のヒールシュートで先制点を許してしまいます。
が、レイソルも8分後に訪れたコーナーキックのチャンス。ワグネル選手が蹴ったボールに頭で合わせたのはレアンドロ選手!「このファンタスティックな選手を90分間ずっと抑えることは難しい」と敵将も認めるだけあります。昨年11月の清水戦以来のヘディングシュートは貴重な同点弾となりました。
その後雨が激しくなると共に、双方とも攻守に激しいぶつかり合いを繰り広げます。ケネディ選手の高さとポストプレーに近藤・増嶋選手が挑み、レアンドロ選手とワグネル選手の際どいシュートは楢崎選手がストップする。局所局所で見所が尽きない試合でした。
後半、レイソルにとっては非常にアンラッキーな形で相手に追加点を許してしまいます。しかし、その後も最後の最後、アディショナルタイム6分間も攻めの姿勢を貫きますが再びゴールは割れず。9試合ぶりの敗戦となりました。これで順位も7位と下がり、後半戦に向かいます。
試合終了後には酒井選手の送別セレモニーが行われました。不思議と雨も上がり、待ち続けた多くのサポーターの方に見送っていただいたのを見て、つくづく幸せなヤツだなと思います。
私事で恐縮ですが、私が広報担当になったのが2008年3月。石崎監督(現・札幌)体制3年目のシーズン開幕直前のこと。この年の新戦力は菅野 孝憲、ポポ(現・浦和)、杉山 浩太(現・清水)、村上 佑介(現・新潟)、大津 祐樹選手(現・ボルシアMG)ら。さらに2種登録で加わったのが当時U18所属の比嘉 厚平(現・山形)と酒井 宏樹選手でした。J1上位進出を狙うチームにおいて、育成組織から将来性を見込んで昇格させた2人でしたが、その当時の取材ノートを見返しても酒井の名前はなかなか出てこない。あるのはケガでリハビリ中、といったネガティブなものばかり。
翌2009シーズンには同期の武富 孝介選手(現・熊本)と共に約半年間のブラジル留学を。ブラジルでは食事面など環境でも苦労したようでしたが、何よりも「みんなハングリー精神の塊」チームメイトの逞しさに驚く日々。気がつくと昨日までのチームメイトが解雇を告げられ、部屋から荷物をまとめて出て行く。そんな生存競争の中で、酒井選手自身にも自然と逞しさが備わりました。
アカデミー時代以来はサイドバックやウイングでプレーすることが主でしたが、ブラジルで初めてセンターバックでプレー。帰国後、最初のインタビューはクラブ会報誌でしたが「ポジションにはこだわらない。プレーにこだわりたい。そして自分がポジション競争できる位置に立つことが大事」と悟ったように話していたのが非常に印象的でした。
迎えた翌2010シーズンは再びJ2での戦いでしたが、待望のプロデビューは5月5日の甲府戦。盆地特有の夏のような暑さの中、後半途中から出場しました。そしてあれから3年。J2優勝、J1昇格、そしてU23と日本代表選出、さらにはJ1優勝、FCWC出場、そしてドイツへ。あっという間に旅立ってしまうことに一抹の寂しさもありますが、まだまだここからが彼にとっての本番です。
最後の挨拶。試合前に「考えてきたことの半分も話せない」とやや弱気でしたが、「レイソルで10年間、素晴らしい仲間に出会えたことに感謝しています。そしてサポーターの皆さんの力は大きかったです。特に日立台では圧倒的でした!レイソルは本当に好きな人たちばかりです。」とサカイらしい感謝の気持ちがこもったものでした。
これからロンドンオリンピックを経由して、欧州の舞台で活躍することでようやくクラブ、アカデミーの目的のひとつが達成されます。がんばれ酒井、ドイツでもやってやれ!!選手・サポーターももちろんスタッフもいつでも応援しているぞ!!